Dreams2013
「ジュール・リメ杯(FIFAワールドカップトロフィー)」
1 ワールドカップサッカー優勝トロフィー
来年6月にブラジルで開催される「FIFAワールドカップカップサッカー」の優勝トロフィーです。
「ジュールリメ杯」と呼ばれています。
2002年日韓共催で開催された「ワールドカップ」のトロフィー贈呈の場面です。
サッカーの神様、ペレがとてもお茶目です!
さて、このジュールリメ杯も2種類あり、なんと3代目です。
優勝トロフィーにはこんな歴史がありました。
2 初代
初代のトロフィーは、フランスの彫刻家であるアベル・ラフレールによって作られました。
FIFAワールドカップを企画した時のFIFA会長ジュール・リメが寄贈し、その名を取ってジュール・リメ・トロフィーと呼ばれます。
純銀製に金メッキで、高さ35cm、重さは3800g、勝利の女神が八角形のカップを支える形をしています。
第二次世界大戦中、カップは1938年の第三回大会で優勝したイタリアのローマに保管されていました。
(1)ナチスに狙われる
1943年にイタリアが降伏すると、ローマを占領したナチスが金採取の目的で捜索を始めました。
しかしイタリアチーム関係者が自宅のベッドの下に靴の箱に入れてまさに命掛けで隠し通し、難を免れました。
(2)盗難
カップは1966年にも盗難にあいました。
イングランド大会の前に行っていた展示期間中のことで、直後にイングランドサッカー協会に金銭を要求する脅迫状が届き、警察のおとり捜査によって港湾労働者の男が逮捕されました。
が、しかしこの男は別の男に500ポンドで雇われて受け渡しを頼まれただけだと主張し、カップは見つかりませんでした。
しかし数日後、ロンドン郊外のある一般住宅のピクルスという子犬が、自宅の庭で新聞紙に包まれたトロフィーを発見し、事なきを得ました。
この子犬は一躍ヒーローとなり、1年分のペットフードが贈られたり、映画に出演したりするなどしたといわれています。
1970年にブラジルが3回目の優勝を果たしたとき、このトロフィーはブラジルに永久保管されるなりました。
(3)ふたたび盗難
しかし、1983年に再び盗難に遭うことになります。
当時のブラジルは政治・経済の混乱期で犯罪が多発していたうえに、ブラジルサッカー連盟のドアには鍵がかけられておらず、警備員も一人しかいませんでした。
しばらくして容疑者が逮捕された(元ブラジルサッカー連盟職員のセルジオ・ペレイラという銀行員と、この銀行員に窃盗を依頼したされる無職一般人の男2名)ものの、必死の捜査にもかかわらずトロフィーそのものは未だ行方不明となっています。
公式にはもう溶かされたらしいという発表がなされたが、イタリア人の富豪がカップほしさに購入したという説や、アルゼンチン人の妬みによる犯行という説まであります。
そのため、現在ブラジルに保管されているのは本物ではなくレプリカです。
3 2代目
(1)「二代目」日本が大陸と陸続き
二代目のトロフィーは、1974年に一般公募から選ばれた最優秀デザインを元にイタリアの彫刻家であるシルビオ・ガザニガがデザインし、ミラノの工房にあるGDEベルトーニ社によって作られました。
マラカイト装飾入りの18金でできており、高さ36cm(14インチ)、重さ4970g(11ポンド)。
「シュートを決め、『やったぞ!』と両手を挙げて走りながら自陣に戻って来る選手」2人が背中合わせで地球を支える形となっています。
この二代目トロフィーは1974年の西ドイツ大会から使用されるようになりました。
2002年の日本・韓国大会までにおいては、次回大会まで優勝国・地域が保管し、次回大会の開会式の時に返却され、これに代わってレプリカが授与されました。
(2)「三代目」は日本列島独立する
三代目のトロフィーは、2005年にアジア大陸と陸続きとなっていた日本列島がきちんと独立した島になるようにデザインを微妙に修正したうえで作られました。
また、高さが36cmから36.8cm、重さが4970gから6175gへと、少し大きくなりました。
この三代目トロフィーは2006年のドイツ大会から使用されるようになりましたが、表彰式直後にFIFAによって回収・保管されることとなり、優勝国のサッカー協会にはレプリカが贈られるようになりました。