2015年10月04日
天竜川堤防決壊・水害70周年慰霊祭
Dreams2015
「天竜川堤防決壊・水害70周年慰霊祭」
終戦から2ケ月の昭和20年10月5日、遠州地方は激しい雨に見舞われました。
その際、天竜川の本流から分かれた「西派川」の堤防が40mにわたり決壊しました。

堤防が決壊した場所と決壊によって浸水した区域

現在の浜松市南区金折町で堤防が決壊し、浸水家屋850戸、死者・行方不明者計34名の大惨事でした。
そこで、70年目の前日にあたる今日、金折町の普門寺で遺族、地元自治会、関係者が集まり慰霊祭が行われました。

1.70年前の10月5日の豪雨
台風の接近で、静岡県内は「暴風雨だった」そうです。
70年前のこの日の降水量は、先月8日、浜松地域に打撃を与えた豪雨に迫る156.5mmとの記録があります。


2.天竜川の変遷
決壊 した場所は、天竜川から西へ分かれて再び本流へ戻る「西派川」と呼ばれた堤防部分でした。
(※現在は「安間川」の一部となっていますが、かつては「安間川」とは別の派川でした。)
昭和26年に上流の分岐点が締め切られて、西派川の大半は無くなっていますが、一部が現在は「安間川」として、残っています。
対岸の磐田市側にも戦時中の昭和19年まで「東派川」という分流がありました。
3.堤防には「防空壕」の穴が
決壊した堤防には、防空壕が作られていました。 この防空壕は終戦間際、本土決戦を覚悟した日本軍が「兵士が籠もるための壕」でした。

防空壕、すなわち堤防に大きな穴が掘られていたために、堤防は機能が著しく劣る状態となっていました。
4.特別展「天竜川大洪水の記憶 昭和20年10月災害の証言パネル展」
1)特別展は 10日まで
地元住民の証言、当時の写真、新聞記事などを展示
(中日新聞東海本社後援)
2)講演会 10日(土)午後1時から
事前に 浜松河川国道事務所調査第一課 053-466-0116 へ申し込みが必要です。
「天竜川堤防決壊・水害70周年慰霊祭」
終戦から2ケ月の昭和20年10月5日、遠州地方は激しい雨に見舞われました。
その際、天竜川の本流から分かれた「西派川」の堤防が40mにわたり決壊しました。

堤防が決壊した場所と決壊によって浸水した区域

現在の浜松市南区金折町で堤防が決壊し、浸水家屋850戸、死者・行方不明者計34名の大惨事でした。
そこで、70年目の前日にあたる今日、金折町の普門寺で遺族、地元自治会、関係者が集まり慰霊祭が行われました。
1.70年前の10月5日の豪雨
台風の接近で、静岡県内は「暴風雨だった」そうです。
70年前のこの日の降水量は、先月8日、浜松地域に打撃を与えた豪雨に迫る156.5mmとの記録があります。


2.天竜川の変遷
決壊 した場所は、天竜川から西へ分かれて再び本流へ戻る「西派川」と呼ばれた堤防部分でした。
(※現在は「安間川」の一部となっていますが、かつては「安間川」とは別の派川でした。)
昭和26年に上流の分岐点が締め切られて、西派川の大半は無くなっていますが、一部が現在は「安間川」として、残っています。
対岸の磐田市側にも戦時中の昭和19年まで「東派川」という分流がありました。
3.堤防には「防空壕」の穴が
決壊した堤防には、防空壕が作られていました。 この防空壕は終戦間際、本土決戦を覚悟した日本軍が「兵士が籠もるための壕」でした。

防空壕、すなわち堤防に大きな穴が掘られていたために、堤防は機能が著しく劣る状態となっていました。
4.特別展「天竜川大洪水の記憶 昭和20年10月災害の証言パネル展」
1)特別展は 10日まで
地元住民の証言、当時の写真、新聞記事などを展示
(中日新聞東海本社後援)
2)講演会 10日(土)午後1時から
事前に 浜松河川国道事務所調査第一課 053-466-0116 へ申し込みが必要です。
Posted by iidasueo at 16:56