2017年11月29日

あの家康が・・食い逃げ・・お金取られた・・銭取

Dreams 2017
「あの家康が・・銭取」

「銭取」です。




名の由来は、浜松市内に小豆餅という場所があります。1976年に新設した地名だが由来は戦国時代。

そして、そこから少し浜松市街地よりに関連する地名が・・・。

 

小豆餅バス停 小豆餅一丁目



小豆餅にやってきました。一丁目から四丁目まであります。

ここは、浜松を本拠としていた徳川家康が、三方原の戦いで武田信玄に敗れ

浜松城に逃げ帰る途中、ここにあった店で小豆餅を食べたという伝説のある場所。

しかし、武田軍が追ってきたため金も払わずあわてて浜松城方向へ逃げたという。





銭取バス停

食い逃げされた店の婆さんが急いで家康を追いかけ、銭を取ったとされる場所がここ。

銭取という地名になった。旧小字名で、現在は通称地名。バス停にその名前が残る。

 

位置関係をおおまかに示すと、徳川家康敗走経路は

三方原古戦場開戦推定地-(5km)→小豆餅-(2km)→銭取-(3km)→浜松城

で、小豆餅屋さんの婆さんは2kmも、馬に乗って敗走する家康を追いかけていったそうな。

徳川軍を追撃する甲州武田騎馬軍団のその先頭には、小豆餅屋の婆さん。

家康は武田軍からは逃げ切ったが、婆さんからは逃げられなかったのである。

 




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